子育て中の方、子育てはもう終わったと思う方に質問です。あなたは「子離れ」について考えた事はありますか?私自身、現在は末っ子の三男が高校を卒業し、親元を離れて一人暮らしをするという段階になりました。今になってふと「子離れってなんだろう?」という事が頭に浮かび、あらためて考えてみようと思いこの記事を書いています。
今のところ息子が親元を離れるという事について、新生活準備が忙しい為か寂しさというのはあまり感じていません。息子の方も新生活の準備に気を取られ、もっぱら洋服のコーディネートや身の回りの準備に夢中です。新しい暮らしは不安もあると思うのですが、親の心配を知ってか知らずか息子は至っていつも通り食欲旺盛で時間があれば趣味のゲームに没頭しております。
そんな息子を見ながら、子育てと子離れについて次の観点から考えてみました。
今回は【子離れのすすめ】我が子はいつまでも子供のままじゃありませんというテーマで次の2点について私自身の考えを紹介します。
- いつまでも子供じゃありません
- 親も子離れしないとね
「こんな考え方もあるんだな」「私はもっと違う様に思う」など、子育てについて何かを考えるきっかけになれば嬉しいです。
いつまでも子供じゃありません
生まれた時は一人では何もできなかった我が子。ハイハイし、一人で歩くことができるようになり、幼稚園、小学校、中学校、高校と段階を踏むにつれ自分自身の世界を持ち、自分の人生を歩き始めます。
「我が子」という事実に変わりはありませんが、彼らはいつまでも子供ではありません。時が経つにつれ成長し大人になっていきます。そんな彼らにいつまでも親がくっついてばかりではお互い良いことがない様に最近の私は思います。
確かに我が子は可愛いですよね。でも私自身は最近「親は子供がある程度の年齢になったら、少し距離をとって遠くから見守るくらいでちょうど良いんじゃないかな」と思うようになりました。
いつまでも子供じゃないという事を認識しなければ、親も子もお互いに自立できないような気がします。
親も子離れしないとね
「子供とほどよい距離をとってあまり近くでなく、遠くから見守る」というのが最近の私のスタイルです。子供が何かを要求する前に、親が先に「あれはどう?」「これはどう?」と口出しし過ぎるのは、子供にはあまりよくないんじゃないかなという気がしてなりません。
以前、ドラマか本で見たのですが、親という字は漢字の一つ一つを分解してみると「木の上に立って見る」という構造になっています。「親は近くで何でもかんでも干渉するのではなく、遠くから木の上に立って子供を見守るもの」というように言っていました。
今になってようやくですが「なるほど」と思います。「子供が可愛いから」と親が何でも欲しいものを必要以上に与えてしまったり「出来ないと不便だろうから」と本人に実際にやってみるという経験をさせず、親が何でも子供より先にやってしまったり。確かにその瞬間は一時的に子供は欲しいものが手に入ったり、やってもらって楽な思いをするでしょうが、その場だけの話です。
次に同じよう状況になった時、自分自身で解決できるかどうか?と考えれば分かりやすいですが、親がなんでも先にやってしまうと、子供は自分の解決策を自分の力で考えられなくなってしまうと私は思うのです。
以前の私は「子離れ」ができていませんでした。「なんでもやってあげるのが子供の為」という間違った考え方をしていたのです。その間違いに気づき「子供が自分の意思で決めるのを待つ」というようにしてからは親子の関係が以前より良好になったような感じがします。お互いに依存しなくなり、ちょうど良い距離感で過ごせているのです。
まとめ
今回は【子離れのすすめ】我が子はいつまでも子供のままじゃありませんというテーマで紹介しました。
私自身も、与えすぎなくらい子供たちに与えていた時期がありました。しかし考えを改めてからはお互いを一人の人間として見るようになりました。
互いに互いの人生を歩んでいくのに、誰かに依存していてはその誰かがいなくなったら何も出来ない、そんな状況にならないようにしなくてはと今は思います。
「もっと早くに気付いていれば」と思ってしかたがないので先の事に力を注ぎましょう。過去を悔やむよりこれからの未来に向けて、気づいた時から修正していけばいいんです。
私自身、かなり年齢を重ねてしまっていますが「気付けてよかった!」という気持ちで前向きに考えています。親も子も、一人一人の人間として付き合えたらさらに良い時間を過ごせそうな気がします。
最後までご覧いただきどうもありがとうござい。それでは今日もよい1日を!
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